なぜ日本では「レールから外れたら人生終わり」なのか

レールから外れたら人生終わり? 素朴な疑問・考察

ニートをやっていると、よく「人生のレールから外れた奴ら」というレッテルを貼られます。まあ確かに、私の場合は学業は順調で大学まで出たのに、会社で上手くいかなくてニートになってしまったので「レールから外れた」という表現は妥当でしょう。

しかし不思議なのは、そうやって一度レールから外れると人生終わりだ、などと言う人が非常に多いことです。これはニート本人もそう思っている場合もあるし、家族や周囲の人たち、そしてネットの住人たちもこぞって終わりだ、終わりだとまくし立てます。

それで正直、私からするとこれは異常な風潮だと思います。そもそも、一度そのレールというやつから外れたら全部台無しになるっていうのはなんか変じゃないですか?人間失敗することだってあるのに、途中でちょっとつまづいたらそれで終わりなんておかしいですよ。

そう思ったので、今回は

  • そもそも人生のレールとは何か
  • なぜレールから外れたら人生終わりだと言われるのか
  • レールから外れたら本当に人生終わりなのか

といったことについて考えてみたことを書きます。

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そもそも、「人生のレール」とは何なのか?

では、まずは「人生のレール」とは何なのか?ということについて考えていきましょう。結論から言うと、これは世間一般の価値観に基づいた「人生でやるべきことリストだと私は思っています。

例えば、私が偏見に基づいて勝手に考えたものですが「人生のレール」ってだいたい次のようなものだと思います。

  1. 大学を卒業する
  2. 会社に就職する
  3. 遅くても30代半ばまでに結婚する
  4. 子供を2人くらい作って育てる
  5. 定年まで頑張って働く

世間で言うところの「まっとうな人生」を送るためには、これらを順番に・1つも漏らさずこなさなくてはなりません。一つでも失敗したら(世間的に)アウトです。

個人的には色々な人生ががあってもいいと思うし、別に失敗しても気軽にやり直せればいいのにと思うのですが、なぜか世間は上記のやることリストを順序良く完ぺきにこなさないと良しとしてくれないようです。

そして日本では世間的に良くない状態になる=まっとうに生きられない、という考え方があるので、一度レールから外れたら人生終わりなどと言われるのだと思います。

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「正社員として就職すること」が一番だという風潮

それで「レールから外れたら人生終了」という考え方になってしまっている元凶は何かというと、日本人に「正社員として就職しなければならない」という強迫観念が染みついていることだと私は思っています。というのは、日本では安定的に収入を得るには正社員になるしかない社会構造になっているからです。

安定した収入を得られないと結婚は難しいし、ましてや子供を養うなんてさらに困難。子孫を残せないのは恥だ。だから子供のうちから「いい会社」の正社員になるために「いい学校」を卒業できるように勉強する。…そういう風になっているのが日本の現状だと思います。

人生のやり直しを許さない日本社会

さて、正社員になるためには

  • 新卒:充実した学生生活を送る
  • 転職:十分な経験を積んでいる

ことが求められます。なので例えば学校や会社が合わなくて短期間で辞めた場合は

  • 努力が足りない
  • 根性がない
  • ちゃんと合うところを選ばなかったのが悪い
  • 自己責任だ

などとボロクソに言われるようになり、就職するにしても転職するにしても正社員になれる確率はグンと下がってしまいます。

つまり日本の社会では一度正社員になる(もしくは正社員を続ける)ためのレールから外れたらやり直しがきかない。ほんとこういうのっておかしいと思うんですよね。

ある環境が自分に合うかどうかなんて実際にそこに入るまで分からないのに、それでダメだったらもうチャンスがない。…バカか?

新卒至上主義・即戦力至上主義の弊害

そもそも、就職に関してこういうおかしなことになっているのは新卒至上主義や即戦力至上主義がはびこっているからだと思います。

  • 未経験でもOKなのは新卒だけ
  • 転職では業界スキルを持っていないとダメ

こんな求人ばかりでは一度レールから外れた人がやり直すのは困難でしょう。

っていうか、なんで未経験でもOKなのは新卒だけなんでしょうね??例えば業界未経験の学卒ニートだってスキル的には新卒と大差ないじゃないですか。なんで新卒かどうかで善し悪しが決まるのさ?ちゃんちゃらおかしいね。こういうクソシステムが堂々と採用されてるなんて狂ってやがる。

こんなんだからなかなかニートが減らずに国力が落ちるばかりだと思うんですけど、国や経団連はそういうことまで考えてるのかな?

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レールから外れたら本当に人生終わりなのか?

さて、では最後に「レールから外れたら本当に人生終わりなのか」ということについて考えてみましょう。

まず当然の話として、人生のレールから外れても速攻死ぬわけではありません。「人生終わり」というのはあくまでも世間的に見て「まっとうな人生」を歩めなくなるかもしれないだけです。つまり先ほどの話を踏まえると「人生のやるべきことリスト」をクリアできないからダメだ、ということを指しているにほかなりません。

別にニートだからといって死ぬ必要はない

それで世の中にはブラック企業を辞めずに過労死したり自殺したりしてしまう人が少なくありません。そういう人たちにとっては「まっとうな人生」を歩めないなら死んだほうがマシなのでしょう。この場合はまさに「レールから外れたら人生終わり」です。

しかし世の中には私みたいにニートでも生きている人もいますし、優秀な人はレールから外れても自分でビジネスを起こす人だっています。何が言いたいのかというと、当たり前だけど別に正社員じゃなくても「生きていい」ってことです。せっかく生きているわけだし、死ぬまできっちり生きようじゃありませんか。

ただし、収入源をどうするかを考えないといけない

ただ、そうはいっても一番重要な課題があります。それはもちろんお金です。日本社会ではお金がないと生きていけません。なのでレールから外れたとしたら、とりあえず何かしらお金を稼ぐ方法を見つける必要があります。

…まあ、それが分からないから今ニートやってるんですけどね!本当にお金だけは悩みの種です。私みたいな精神障害ニートには会社で働くのは不可能だし、家でできるビジネスを何かやるしかないのかなと思います。

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おわりに:レールから外れないに越したことはないが…

以上、なぜ日本ではレールから外れたら人生終了なのか?といったことについて考えてみました。

個人的に「正社員として就職できないと人生終わり」という風潮はおかしいとしか言いようがないのですが、まあそういうシステムになってしまっている以上はこんなところで文句垂れてもどうしようもないですね。ただその異常性が少しでも伝わればいいなと思います。この記事を書いた動機はそれだけです。

今回は以上!

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