「才能がない・自分には何もない」と悩むニートに足りない考え方

「才能なし」と嘆き悲しむニートへ ニート・ひきこもりの話

こんにちは、食っていくための才能が全くないクズニートです。今回はニートにありがちな悩みに関する話題で、

(私も含めて)ニートって「自分には才能がない」と悩みがちだけど、考え方次第ではもう少し前向きに生きられるよね

という話です。

私は病気のせいでもう4年以上もニートをやっているのですが、こうなると周囲の人からは見放され・企業からも門前払いを食らう有様でどうしようもなく、毎日のように「自分にも何か食っていけるだけの才能があったら良かったのに」などと考えてしまいます。

しかしそんなことを考えていても事態は好転するはずもなく、ただ日が経つばかりか親は弱ってケガをしたりと大変なので、ニートで無収入…という現状を何とかしないといけません。ただまあ暗い気持ちだとやる気も出ませんから、せめて何かやる気を出すための前向きな気持ちだけでも欲しいところですよね。

そこでここでは、才能のなさに散々悩まされた結果として分かった「才能がないと思っているニートに足りない考え方」について書いていきますね。

スポンサーリンク

そもそも「才能」とは何か?「能力」との違いは?

では、そもそもの話として「才能って何?能力とはどう違うの?」という部分を整理しておこうと思います。

まず辞書を引いてみると才能と能力はほぼ同じ意味だとされているようですが、日常生活ではちょっとニュアンスが違っていると私は思います。具体的に言うと、

  • 才能がある→何かすごい能力がある
  • 能力がある→(すごいかどうかは別として)ある物事を成し遂げることができる

くらいの違いですね。つまり才能とは単なる能力ではなく際立った能力のことを指すと言えます。

そしてさらに言うと、才能の場合は単に「すごい能力がある」というだけでなく、役に立つすごい能力がある」ことを褒める意味合いで使われている気がします。

例えば、まあ極端な例かもしれませんが

  • すごい速さで指パッチンをする能力を持つAさん
  • 瞬時に複雑な数式の答えを求める能力を持つBさん

という二人がいた場合、どちらかといえばBさんのほうが「才能があるよね」と言いたくなりませんか(Aさんの方は「すごい能力だ」とは言えますが、「すごい才能だ」とはあまり言えませんよね)。これは指パッチンよりも数式の解を求められる方が世の中の役に立つからに他なりません。

このようなことを考えると、ある能力が「才能」と認められるためには、世の中の役に立つ能力である必要がある…と言えるかもしれません。

スポンサーリンク

能力が才能として認められるためには「環境」が必要

優れた能力があってもその環境で役に立たなければ才能ではない

さて、もしそうであれば自分がいかに優れた能力を持っていても、その能力が世の中に必要とされなければ才能として開花しないことになります。つまり私が言いたいことは、

  • もしかしたらニートには優れた能力があるかもしれない
  • しかしその能力が現代社会で必要とされていないので埋もれてしまっている場合も考えられる

ということです。

…と書くと「じゃあやっぱダメじゃん」と思われてしまいそうですが、ここで注意していただきたいのは、世の中で必要とされる能力は時代とともに変化するということです。

例えば昔はパソコンがなかったので、文書を作るときは達筆な人や字を素早く書ける人が有利でしたが、今は誰でもパソコンを持っているような時代なのでどちらかといえばPCスキルとかタイピングスキルがある方が有利になりましたよね。このように技術の進歩などで必要とされる才能は変わるので、自分の中に眠っている能力が才能として開花するチャンスはまだあるかもしれません。

ニートが自分の才能のなさを環境のせいにしがちだが、それはある意味正しいかもしれない

ところでこの文章を書いていて思ったんですけど、仮に先述の「能力と環境がマッチしなければ才能として認められない説」が本当であれば、ニートが言いがちな

俺に才能がないのは周囲の環境(=親とか日本社会)のせいだ!環境さえ良ければ活躍できたのに

という主張はあながち間違っていないとも言えます。もっとも、

  • そのような主張をするニート自身に本当に何らかの能力がある
  • その能力が必要とされる環境がある・もしくは現代社会がそういう環境になる

という2条件が満たされる可能性は限りなく低いと思いますが…。

自分の能力を生かせる環境が無ければ作ればいい

さて話がそれたので元に戻すと、まあ確かに環境は変化しますが、そうは言っても変化した環境で自分の能力を生かせるかどうかは分からないですよね。なので周囲の環境が自分の能力を生かせるようになるまで待つのは愚策と言えるでしょう。

ではどうすれば良いのかといえば、自分の能力を生かせる環境を自分で作ってしまえばよいのです。…と、こう書くと大げさに聞こえるかもしれませんが、環境を作るだけであれば大したことをしなくても大丈夫なので話半分に聞いて頂ければ幸いです。

まあとりあえず「環境が無かったら自分で作る」というような思考がニートの方には欠落している場合が多いので、これだけでも気づいて頂ければいいなぁと思います。

スポンサーリンク

「能力を才能にする環境」の作り方

では具体的にどうやったら自分の能力を生かせる環境を自分で作れるのかというと、簡単に言えば

何でもいいから自分の能力を発表する場を作る

ことに尽きると思います。

発表の場を作れば、仮に自分の能力が世の中で役に立たなかったとしても、もしかしたら通りすがった人が「それすごいね」と言ってくれるかもしれませんし(まあ通りすがる人がいるのか?とか、見てもらえるのかといった問題はありますが…)、運が良ければファンになってお金を落としてくれるようになるかもしれません。

ともかく今はネット社会ですから、ブログ・SNS・Youtube等々で簡単に発表の場を作ることができます。こうしたチャンスを活用しない手はないので何か自分の得意なことを発表してみることをオススメします。

スポンサーリンク

おわりに:能力を生かせる環境を作って楽しく生きよう

以上、才能についての話や、能力を開花させるために必要な環境を自作してみようという話をしました。まとめると

  • 能力が才能として認められるためには、その能力が必要とされる環境が必要
  • 社会で必要とされる能力は時代によって変化するが、変化後の環境が自分に合うとは限らない
  • それなら自分の能力を生かせる場を自分で作ってしまえば良い

という感じですね。まあこういうことを書いている私はニートなのであんまり説得力が無くて申し訳ないのですが、もしその通りだと思ったら参考にしていただければ幸いです。

今回は以上!