こんにちは。どこへ行ってもいじめられたりハブられたりする精神障害ニートです。今回は「いじめ」という重いテーマですが、ちょっとした持論があるのでそれについて書こうと思います。
いじめというと、私はこれまでのクソ人生の中で中学・高校・会社の3か所でボロクソにいじめられてきました。当時は非常に辛い思いをしたせいか、未だにいじめられた時の記憶がフラッシュバックして苦しむことがあります。そしてそういう記憶に限っていつまでもしっかり脳裏にこびりついているもので、何年も経った今でも忘れ去ることはできません。
しかしそういった嫌な経験によって深い傷を受けたからこそ、「いじめ問題」に関して当事者として言えることがあるのではないかと思いました。
そこでこの「ニートが語るいじめ問題シリーズ」では全2回に分けて次のようなことについて考えていきますね。
- 第一回:いじめをなくすことはできるのか?(←いまここ)
- 第二回:いじめられたらどうすればいいのか?
第一回の今回は「いじめをなくすことはできるのか?」というテーマについて考えてみましょう。
※あくまでもニートの考えなので話半分に読んでいただければと思います。
私の持論:今の日本の社会構造ではイジメは絶対になくならない
では最初に結論から言ってしまうと、個人的な考えとしては「いじめをなくすことは不可能」だと考えています。
もう少し具体的・かつ簡潔に言うと私の持論は次のとおりです。
- 今の日本の社会構造ではイジメは絶対になくならない。したがって社会構造を変えない限り「いじめをなくす」のは不可能
- しかし社会構造を変えるのは難しいので、まずはいじめをなくそうとする代わりに、いじめが起きた時にどう対処するのかをしっかり考えるべき
これだけだとまだまだ説明不足ですので、以下にこのような考えに至った理由を書いていきますね。
そもそも、どんなときにイジメが起きるのか?
まず、先ほどの持論を説明するためには「どんなときにイジメが起きるのか?」について私の考えを説明する必要があります。
個人的に、いじめが起きるのは次の3つの条件がそろった時だと思います。
- 誰かが他の誰かを嫌っているとき
- 嫌っている人の立場が強いとき
- 嫌っている人と嫌われている人が無理矢理一緒に過ごさないといけないとき
それぞれについて詳しく見ていきましょう。
条件1:誰かが他の誰かを嫌っているとき
一つ目の条件については、当たり前の話ですが誰かが他の誰かを嫌っているときです。もし相手のことが好きだったり、別に何とも思わないならその相手をいじめようとは思わないでしょう。
したがって「あいつのことが気に食わない」という感情がいじめの大きなきっかけになります。
条件2:嫌っている人の立場が強いとき
次に二つ目の条件は嫌っている人の立場が、嫌われている人よりも強いときです。もう少し分かりやすく言い換えると、(条件1から一歩進んで)誰かが「あいつが気に食わないから攻撃してやろう」と思った時にいじめが起きるというわけです。
私はいじめは「確実に相手をいじめることができる」場合に起こると思います。例えば
- 相手よりもずっと力が強い
- 相手よりも権力がある
- 相手よりも仲間が多い
- 相手がほとんど反撃してこない
といった場合ですね。
逆にもし相手から手痛い反撃を受ける可能性がある場合は、相手のことが嫌いでもほとんどいじめには発展しないと思います。
条件3:嫌っている人と嫌われている人が無理矢理一緒に過ごさないといけないとき
最後に3つ目は、嫌っている人と嫌われている人が無理矢理一緒に過ごさないといけないときです。
いじめは「嫌いな奴と嫌でも一緒にいなきゃいけない」環境になったときに起きると思います。逆に言えば、嫌いな人と一切関わらなくて済むならいじめにはならないと思いますね。
いじめ問題の諸悪の根源は「集団主義的な環境」
さて、ここまで「いじめが起きる3条件」について説明してきました。仮にこれが正しいとすると、この3つを潰すことができれば「いじめをなくせる」と言えそうです。
しかし、果たしてそんなことができるのでしょうか?私の答えは「NO」です。では、以下にその理由を述べますね。
いじめは問題は「誰が悪いか」で議論しても埒が明かない
まず、前述の3つの条件のうち、
- 誰かが他の誰かを嫌っているとき
(=誰かが他の誰かを嫌いになってしまう) - 嫌っている人の立場が強いとき
(=立場の違いによって上下関係ができてしまう)
というのは人間である以上、どうしようもないですよね?
「いや、そんなことはない」という人は、すべての人に対して「こいつは嫌いだ」と思わないでいられますか。加えて、すべての人に対して平等に接することができますか。そんなの無理に決まっています。
つまり、いじめが起きる条件は(どんな場所であれ)最初から2つも揃っているわけなんですよ。だから残り一つの条件がそろえばどこでもいじめは起こりえるわけです。
誤解を招く言い方かもしれませんが、いじめというのは「やりたくてやる」というよりはむしろ「嫌いな奴と一緒にいるのが不快だから、ついやってしまう」ものだと思います。したがっていじめ問題というと「誰が悪いか」で議論になりがちですが、条件次第で誰でも加害者になり得ることを考えるとそんな切り口で議論しても埒が明かないと私は思います。
「集団主義的」な環境に根本的な原因がある
じゃあ最後の3つ目の条件
嫌っている人と嫌われている人が無理矢理一緒に過ごさないといけないとき
(=閉鎖的な集団で過ごさなければならない)
はどうかというと、これについては改善できる可能性は少なからずあると思います。
なぜなら学校とか職場といった環境で嫌な奴と無理矢理一緒に過ごさないといけないからイジメが起きるわけで、それなら嫌な奴を避けられるような構造にすればいいからです。
しかし、果たして学校や職場をそんな構造にすることが今の日本社会で可能でしょうか??まず無理だと思いますね。だって、「みんなで汗水垂らして頑張る」ことが良しとされているから。
例えば、次のような3人があなたの職場にいた時、あなたはどう思いますか?
- 集団行動が苦手で他の人に合わせられないAさん
- 周りの人よりも若いのにずっと優秀なBさん
- いつも楽な方法ばかり採用しているCさん
おそらく、多くの方は次のように思うことでしょう。
- Aさんに対して→ちゃんとみんなに合わせろよ!
- Bさんに対して→才能があって何かムカつく!
- Cさんに対して→自分ばかり楽してずるい!
こういうタイプの人たち(集団行動が苦手な人、才能のある人、苦労したがらない人など)って少なくとも日本だと浮いてしまいますよね。じゃあ浮いた人がいたらどうしますか、という話です。排除したくなるでしょ?嫌ですねぇ…。
それで世の中には「みんなで汗水垂らして頑張る」ということに対して
- そういうのが一体感があって好き
- みんなで一緒に努力することこそ美徳だ
という人もいると思いますが、一方で
- みんなでなにかするのが苦手
- 別にそんなことをしなくても一人で十分やっていける
- 汗水たらすような苦労をしたくない
というような人もいると思います。しかしそういう人まで「みんなで汗水垂らして頑張るべき」という価値観を押し付けられ、結局学校や会社といった集団に属さないとなかなか生きていけない(=集団にいないと著しく不利になる)社会になっているのがイジメの原因になっていると私は思います。
おわりに
以上、「いじめをなくすことはできるのか?」というテーマに対して私なりの考えを書いてきました。
最後にもう一度結論(=私の持論)を書いておくと、
- 今の日本の社会構造ではイジメは絶対になくならない。したがって社会構造を変えない限り「いじめをなくす」のは不可能
- しかし社会構造を変えるのは難しいので、まずはいじめをなくそうとする代わりに、いじめが起きた時にどう対処するのかをしっかり考えるべき
だと私は思います。
もちろん異論のある方もいると思いますが、まあこういう考えを持っている奴もいるんだな、くらいに思っていただければ幸いです。
次回(Part2)は「いじめられたらどうすればいいのか?」について考えます。